プログラムのあるべき姿を、大衆的な企業で追求しても心が折れるだけだから、本当の目標を目指し直す

仕事でプログラムを書いているのですが、何というか、使用するプログラム言語によって、言語的にはこうした方が良いよな、ということがあります。そうすることで、生産性を上げたり、後で手を加えるにしても、手を入れる余地が残せます。

仕事でプログラムを書いているのですから、要件をちゃんと満たし、納期も守り、そして役に立つ。全部満たしたいものです。同時に、変なプログラムを書きたくないものです。プログラム言語の特性を無視して書き上げてしまったプログラムというのは、そのプログラム言語を正しく理解しようと努める人程、それを見た時に苦しみます。「何でこうなるのか、どうしてこんな書き方になるのか、何故、便利な機能を使わないのか」と、プログラムの書き方そのものばかりに注目してしまって、「どうして、どうして」と問い続けてしまいます。

しかし、そういうプログラムでも、現場で使い物になっていると言われると、何も言えなくなってしまいます。そして、そのプログラムを直すことになった時は、「どうして」という書き方に自分が合わせなければならなくなります。

仕事でプログラムを書くからには、果たすべき目的というものがあります。なので、優先すべきは、簡単に言えば「ちゃんと動くものを作る」ことなのです。動きさえすれば、中身を気にする人はいません。プログラムを書く人間以外は。書き方がきれい、機能をちゃんと活用している、そんなことを訴えても、また、実物のプログラムを見てもらっても、まず伝わりません。

私は、仕事で本格的にプログラムを書くようになって10年以上経ちますが、ようやく、真実に行き当たったような気がしています。プログラムのあるべき姿を、大衆的な企業で追求しても、自分に対しては何の見返りもないどころか、あるべき論に終始してしまって、自分の心が折れるだけだと。

では、どうしたら良いか。当面は心を押し殺して、仕事用のプログラムを書くつもりです。あるべき論や理想を抑圧して。自分は単なる部品だと定義して。しかし、そのような状態では、長くは続かないでしょう。なので、長くは続かないことを前提に自分の進路、本当に目指すべき目標を再度認識し直します。

本当に目指すべき目標は、早期リタイア、自立。これを3年以内に達成すること。もう、何度となく繰り返してきたはずなのですが、何かと言い訳をしていて、その目標へ向かうための具体的な努力は怠っていました。今日、改めてやり直すことを自分に誓います。