40代の転職漂流記・技術者派遣の現場から

40代の今、数社の転職を重ねて技術者派遣の現場に行き着きました。現在、生き方を模索中

屈辱は、自立への道に繋がると思いたい

不得意で苦手な案件に割り当てられて、月単位の時間が経過しました。

どうにかして早くこなせるようになろうとしてはいるのですが、なかなかそうはならず。進捗会議は実質、吊るし上げられているに等しい状態です。これは、私自身がそう感じている部分が大きいのかもしれず、管理者はそのつもりはないのかもしれません。でも、設定されたスケジュール通りにこなせないのは、どうしたって屈辱です。苦手なことであっても、屈辱は屈辱です。

自分としてはやっぱり、苦手なことはするものではないと思いますね。得意なことで貢献できればそれが良いに決まっている。仕事ならば余計にそうではないですかね。得意なことを得意な人にやらせないのは、それだけで損失となります。それが理解出来ない人は、愚かなのではないでしょうか。

屈辱を感じてしまうことは、本当にどうしようもない。憤りという感情に支配されると、もう何から何まで悪くしか見えなくなります。悲観的な感情に心の大部分が覆い尽くされます。しかし、何かの拍子にそれが途切れ、平常心とまでは行かなくとも、まま落ち着きを取り戻すことがあります。

今は耐えても、いつまでも耐えるつもりはない。この屈辱を晴らすには、自分が会社というところに属さずに生きていけるようにするより他はないだろうと、私は考えています。屈辱を与えてくれた人々には、皮肉も込めた上で感謝せねばならないですね。聖人ぶるつもりなどありませんから、そのぐらいのことは感じても悪くはないでしょう。

今日もまた、自立を強く望むこととなりました。