自分の得意なことは活かしたいし、相手の苦労自慢・不幸自慢にはもう付き合いたくない
派遣される立場になって強く感じているのですが、派遣先では当人が「何が出来るのか、何が得意なのか」は問われないように感じました。
たまたま私がそういう扱いを受けただけで、他の多くの人がそうではないのであればまだ良いのですが、いや、自分にとっては良くないですね、やっぱり。他人のことも気になるけど、自分のことは自分のこととしてはっきり分けておかないと、自分というものがなくなってしまいそうです。
それで、派遣先に派遣される人に求められるのは「言われたことが出来るかどうか」。これだけなんですね。当人の得手・不得手をここにどうやって絡ませられるのかと考えてみたのですが、改めて考えてみると、派遣先の担当者にしてみても限られた材料で判断するしかなく、候補者の経歴を見て「これぐらいのことは出来るだろう」と思ったらやらせてみて、反応を見るしかないのかもしれません。
当人が得意分野を無視されると感じるのは、もしかしたら結果論でしかないのかもしれません。ですが、得意なことを活かせないまま活躍できない現実は変わりません。こういったことを物ともしない人もいるにはいますが、私はそうではありません。私がそうでないと自分で言うなら、そうではないのです。
直接・間接を問わず、他の人からは
「世の中、そんな甘いものではない」
「俺は、私はもっと苦労した」
「そんな程度のことで何を言っている」
などと言われますが、苦労自慢・不幸自慢にはもう耳を貸すつもりはないです。基本的には聞き流します。他人の価値観を否定しない代わりに、私の価値観も否定させない。そういう姿勢で臨みます。ずけずけとこちらの領域に踏み込んでくる人は、適当に流します。
こうして、何が自分にとって嫌なのかを知っていくわけですが、逆に好きなことは何なのか。そちらは一向に知ることが出来ません。これで将来の展望が描けるのかどうか。模索は当面続くことになりそうです。