40代の転職漂流記・技術者派遣の現場から

40代の今、数社の転職を重ねて技術者派遣の現場に行き着きました。現在、生き方を模索中

うまく働けない店員の姿に、自分の姿を重ねた

こんばんは。

昨日の昼、とあるラーメン店で見かけた光景で、私は今の自分の姿を改めて見せられたような気がしました。そのことを書いてみようと思います。

今回立ち寄ったとしたラーメン店は、2年ほど前まで時々通っていたラーメン店でした。地場のチェーン店で、県内各地に店舗を展開しています。

今年になって私は引っ越しをしましたが、先日、その地へ行く用事がありまして、昼食時に立ち寄ることにしました。

店構えは変わっておらず、また、向こうは覚えていないでしょうけれど、見覚えのある店員さんが厨房にいました。そして、厨房とは別に、接客をする店員さんが2人いましたが、そのうちの1人は「研修中」の札を付けた若い男性でした。アルバイトなのか、店員なのか、傍から見るだけではうかがい知ることは出来ませんでしたが、その働きぶりを見ていると、どうみても接客には向いていない感じなのは明らかでした。

どんな感じだったかと言いますと、以下のようでした。

  • 声が小さい
  • ずっとおどおどしている
  • 自分では臨機応変に動けず、指示が来ないと動けない
  • でも、指示が飛んできてもそれをこなせない
  • 他の店員が苛立ってきて、指示がきつくなるから、余計に動きが悪くなる

どのような経緯で、その方がそこで働くことになったのかはわかりません。しかし、傍から見ていると、「どうしてこんなにも向いていないとしか思えないことを、その人はしているのだろうか」と思わずにはいられませんでした。

アルバイトだとしたら、アルバイト募集に応じて応募をしたのでしょうけれど、本人が接客に向いているかどうかを考えて応募したのか、本当に疑問に思えるような状況でした。多分、一言で言ったら「使えない」という表現以外に思い当たらない、そんな状態でした。

ただ、この光景を見ていた私は、その方に今の自分の姿を重ねてしまいました。私自身、今の派遣先では使えない状態が露呈してしまって、契約終了という結果に至ったわけです。自分の判断では、業務系のシステム開発には向いていないのは確かだったとしても、それ以前に、システム開発そのものにおける力量不足が致命傷となったのでした。

私は、システム開発も含め、ここ10年ほどは一人で仕事をしていました。会社には属していましたが、いわゆる「一人情シス」の状態でした。なので、システム開発に関して言えば、ほぼ我流です。そのため、要件定義や設計、テストなどの各工程を体系立てて進めること、また他人と連携・協調しながら進める経験が完全に欠落していました。私は、自分の力量や状況を完全に見誤ったのでした。

そのため、システム開発において常識とされるようなこと、設計やレビュー、テストなどにおいて、まったくと言って良いほど、その常識とされることに私が対応できなかったのです。なので、私は使えない人だったのです。

ラーメン店で見た彼の姿に、私は自分の姿を見出していました。とても他人事とは思えず、何ともやり切れない感情が今も残っています。あの彼は、今後どうするのか・どうなるのか。「どうするのか」については、当人が決めることによって決まるのですが、彼の働きぶりからしてみると、自分からどうするかを決めるような人には見えませんでした。

では、「どうなるのか」の観点から見ると、アルバイトだとしたら、早々に辞めてもらう方向に持っていかれるのだろうと思われます(店のその後については、ここでは考えません)。辞めさせられた後の彼は、一体どうするのか。気になりますが、そこから先は考えてもわかりません。

思わぬところで、自分の姿を見させられたような気持ちになり、懐かしさに浸れるような気分にはなれず、ただただ現実を突きつけられただけの一日でした。自分も使えなくて派遣先を去ることになったのですよね・・・。