才がないと認めて他を探す、決して悪いことではない
こんばんは。
自分の意志か、成り行きかはともかくとしまして、何かを始めたとします。仕事でも趣味でも、何でも良いです。そうして始めたことが、自分に合うか合わないかは、始めてみた後にわかることだろうと思います。
始めたことが自分に合うと思えるなら、それは大変結構なことです。そのまま継続していき、さらなる高みを目指していけば良いと私は思います。
しかし、自分には合わないと感じてしまうこともあるでしょう。ましてやそれが自分の意志であったり、仕事において自分には選択権がなかった場合は、つらい気持ちになると思います。
私はそのような場合、その事柄については、自分は才がなかったのだと定義することにしています。向き・不向きといったことを大事にしたい私には、そのように考えます。向かない、才がないと思ったら、他を探せば良い。それだけのことのように思います。
自分では、それだけのことと思うのですけれど、軽く考えすぎなのでしょうか。