40代の転職漂流記・技術者派遣の現場から

40代の今、数社の転職を重ねて技術者派遣の現場に行き着きました。現在、生き方を模索中

IT系の仕事は好きだったはずで熱意や情熱を持っていたはずだが、今は関心事が他に移り、熱意はなくなったという事実に向き合う(技術についていけなくなったことも理由になっている)

私は、IT系の仕事は好きなはずでした。「はずでした」としているのは、その気持ちは既に過去形になっていることを実感しているからです。 今日はそのことについて触れてみます。

仕事を始めた頃は、システム開発やシステムの運用に関わり合いたいと強く考えていた

私が仕事についたのは1990年代の前半でした。 小さい頃からゲームとともにパソコンが好きでして、暇があればどちらかに触れていたいと思っていたくらいでした。 ただ、今思うと、パソコンが好きと言ってもせいぜい書籍に掲載されているプログラムを打ち込んでみるか(大抵ゲームです)、ゲームで遊ぶぐらいのことしかしていませんでした。 しかし、当時はそれで満足していて、更にそこから「自分はプログラマーになりたい。バリバリプログラムを書けるようになりたい」と将来像を描いていました。

そんな気持ちを抱きつつ、就職活動をしたところで就職できたのは、中堅の製造業でした。 当時希望したソフト開発会社には入れませんでした。

入社してから1年は製造の現場にいました。 当時は特段の事情がなければ、新入社員はまず製造現場に配属するということになっていたようで、システム部門を希望した私も製造現場に配属されました。 ただ、やっぱりシステム部門には行きたかったので、それとなく「システム部門に行きたい」ということは社内で口にしていたように記憶しています。

そして、1年が過ぎたところでシステム部門に異動となりました。 この時は嬉しかったです。 ようやくスタートラインに立てたと思えたものです。

システム部門は自分に合っていると当時は思っていたし、実際、当時はそうだったと思う

システム部門には社内SEとして、10年少々在籍しました。 ただ、プログラムを書くことはあまりなく、私はそこでサーバーやPCの設定、ネットワークの運用や管理に興味を持ち、どちらかというとインフラ系の仕事の比重が高くなっていきました。 これは受け身ではなく、自分でそちらを選んでいった結果だったと思っています。 そして、社内のヘルプデスク対応もしていました。

嫌なこともあったと思いますが、この頃は結構満足して仕事をしていました。 Windows NTから始まって、最終的にはWindows 2000 ServerでActive Directoryの設計から構築まで一人でやったり、PCセットアップの効率化を考えて実践したり、ネットワークの運用やトラブルシューティングなどをしたり、いろいろな経験ができました。

しかし、そんなシステム部門を抜けることになったのは、自分が転職をすることにしたからです。 「もしもこのまま社内SEのままだったら」と今なら考えるのですけれど、当時は「社内SEとしては頑張った。だから、30代になってしまって出遅れたけれど、開発の仕事がしたい」と考え、転職先を見つけて退社しました。

今思うと、自分は情熱を持って、希望を持って行動していたと感じます。

転職して、退職する頃には心境が変わっていた

2社目となった会社には、10年ほど在籍しました。 ここではWebアプリケーションの開発に携わりました。 この会社は自前でWebサービスを展開していまして、その開発に人が欲しかったそうです。 開発については経験不足な私を雇ってくれたということで、当時は感謝していました。 そこでWebアプリケーションの開発技術は身につきましたが、プロジェクト全体をうまく回すための技術を身につけるまでには至らなかったです。 入社当時はそのようなプロジェクトマネージメントまで含めた技術の習得を目指していたのですけれど、入った会社は零細で、私と一緒に仕事をした人は一人だけ。その人にはプロジェクト管理という概念や意識がなく、少なくともそういったことを教わるという状況にはありませんでした。

自分の教わりたいことが教われないなら、自分なりに頑張って必要な経験を得られるようにしようとしましたが、結局は一人でどうにかこうにかして仕事をこなすだけになってしまい、技術的な習得はある程度はできたものの、プロジェクト管理についてはまったく習得できなかったですし、そもそも要件定義・設計・製造・テストなどの各工程をちゃんと踏むという経験もできなかったです。

それで、一人でそれなりのことはできるようになったが、チームプレイ・組織内で立ち回るということにおいてはまったくだめな自分が出来上がってしまっていました。 そして、その事が自覚できるようになったあたりから「自分にはIT業界は向いていなかったのかも」と思うようになりました。 つまり、仕事に対する情熱、ITの仕事に対する想いを失い始めていたのです。

結局、10数年在籍したところで退職という道を選びました。 ただし、この時は次のあてはありませんでした。しばらく無職となります。 転職してきた頃の熱意や情熱は失われ、食べていくためには何か仕事をしないと、そうなると今までの延長で食いつなぐしかないかと思うようになってしまいました。

情熱を失ったと自覚できた

その後、紆余曲折を経て、40代で技術者派遣の会社に入社しました。 熱意は失っていたけれど、でも、自分にできることはまだあるかもしれないと思って。 でも、自分ができると思っていたことはまったく大したことがなかったし、何よりも情熱を失っていてITの仕事に熱意を入れられない状態になっていたというのが致命的でした。 また、ITの仕事を組織でしていくには必須であろう「要件定義・見積もり・設計・製造・テスト」などの各工程についての理解が圧倒的に不足していたことから、皆についていけない状態となってしまいました。 これは本当に致命的でした。でも、自分もこのままでは食べていけなくなるので、過去に関わったインフラ系の経験を膨らませてクラウド関係の仕事に移ることにしました。 幸いにもそういう仕事に関われたから、これでどうにかやっていけるかもしれないと思えました。 クラウド関係の仕事で足場を築ければ、とりあえずは居場所を確保できると思いました。

でも、熱意や情熱を取り戻すまでには至らなかったです。 複雑化する要件、高度化していく技術、それが一体何のためにそうなっているのか、都度都度疑問を感じるようになってしまったのです。 「何で自分はこんなことをしているのだろうか」とか「何のため、誰のための仕事なのか」という感情とともに、年々高度化していく技術に自分がついていけなくなった、学ぼうと思っても心が素直にそういった技術的なことを楽しめなくなってしまっていました。

「この複雑さやわかりにくい技術というのは(※あくまで自分にとってのことです)、一体何のためにあるのか。自分がそこに関わって、何になるのか。どうしてこんなに難しいと感じるようになったのか」など、否定的な感情ばかりが生まれます。 自分にはもう、ITの技術的なことに対しての情熱はなくなったのだと痛感した次第です。

こんな状態なので、とにかく仕事の出来が悪い

自分で言ってしまいますけれど、こんな状況でも頑張って仕事はこなそうと思っても、

  • 期待値以下の成果しか出せない。傍から見ればおそらく気が利かないように見えている
  • ミスが多い。漏れ、間違いがよくある
  • 管理者と話をするのが苦痛になっている。管理者は対象的で、熱意を持って周囲の期待以上の成果を上げようと頑張る人である。そういう人の元にいると、こちらは非常に疲れる

となってしまい、ミスがミスを呼ぶ、負の感情が負の感情を呼ぶという悪循環に陥っています。 でも、この状況を具体的に相談できる人はいませんし、いたとしても40代でこれは情けないなと思うと、面と向かって相談できることではないと思い、しまい込んでしまいます。

以前は関心を持っていたが、時間が経ったところで関心が他に移る、熱意をなくすのは何も珍しくない

以前は多大な関心を持っていて、それこそ熱意や情熱をもってやっていたが、ある時に関心をなくす。人がそれなりの年数を生きていれば、普通にありえることだと思います。 例えば、あれほど面白いと思っていた登山が、車いじりが今は面白い事ではなくなった、以前はゲームに熱中していたけれど今はさっぱり関心がなくなったとか、本当に普通に有り得ることだと思います。

ここまでの例だと、趣味や個人的なことになりますが、「仕事なら一度持った関心や熱意を失うことはない」などということは言えますでしょうか。言えないと思います。なので、私はその時の対応を誤ると、

仕事に関係する要素で人並み以上に熱意や情熱を持っていたとして、それを何かしらの理由でなくしてしまうとその反動はとても大きい

と思います。何せ、自分の中では状況が見えていたとしても、組織の一員として働いているのであれば、そんな事情を持ち出したところでどうにもならないからです。 むしろ、このことに対する解決策は

その仕事に情熱を持っていたはずだが、それが持てなくなったというのなら、これからのことは考える必要があるにしても、もうその仕事はしないほうが良い  

となるのだと思っています。関心を失うのに至った状況には、当人の見込みの甘さや考え違いなどがあるのかもしれません。ですが、そうだとしても、ではその関心を持っていたという事実を絶対に曲げてはいけないのでしょうか。それは許されないことなのでしょうか。そんなことはないはずです。もしも、一度持った関心や熱意などを絶対に曲げたり変えたり、変わったりしてしまうことを一切認めないというのならば、人は一度決めたことを絶対に変えてはならないことになってしまいます。

自分に取って嫌なことを続ければ、大事な時間を失う

何事においても、心変わりすることがないなどとは言えません。それが仕事か個人的なことかなんて、まったく関係ありません。 ある事柄に対する関心を失った後に、ある程度の分析はできるでしょうけれど、それでまた無理やり関心を持とうとしたところで不幸になるだけです。 過度な我慢を重ねていれば、大事な時間を失うだけです。その事実が残るだけで、何も得るものはありません。

客観的、もしくは当人が見ても、自分に甘えがあったとか甘かったということはあるかもしれません。ですが、それならなおのこと、見切りを付けたほうが賢明な気はします。 我ながら無理なことを言っているような、そんな気はしますが、当人がそれを合わない・熱意や情熱を傾けられないと言うのなら、もうそういうものなのです。 別の関心事を探すか、感じたことに素直に従うのが正解だと思います。 「そんなことを繰り返していたら何も身につかない。ただ青い鳥を探しているだけでしょうよ、そんなの」となってしまうのも事実だとは思いますが、それも含めての当人の人生です。

会社組織に属したままで、自分のしている業務や仕事に関心を持てなくなった時は、対応を誤ると非常に恐ろしい結末が待っています。 だから、私は今更ながら、40代でこんな事になってしまったのではあるけれど、こうなった以上はむしろ

自分は独立して、自分一人で食べていけるようにするべき

と思っています。そして、思っているだけではなく、行動します。

でも、40代でこれはきついです。ただ、幸いなことだと言って良いと思っていますが、他にやりたいことはあります。それで食べていきたいと。自分の食い扶持は自分で稼ぐ。自分一人で食べていけるようにする。 今関わっている仕事のことを考えると、自分の惨めな姿にはがっかりしますけれど、そこで頑張ってもどうしても頑張れる気がしないから、転身します。それ自体が簡単なことではないのですけれど、このままだと

嫌になってしまったことを嫌々続けるだけの人生を送る

だけになってしまうのは明らかです。

人目は気になります。この歳で何を言っているのやらとも思います。でも、自分の人生なんですよね。できないこと、できなくなってしまったことは認め、自分で自分の人生の転身を行うことにして、どうにかして一人で食べていけるようにして仕切り直したいです。