望まない長時間労働は、悪でしかない

毎日毎日、残業続き。日が変わるようなことはないけど、毎日毎日2時間、3時間と残業することが当たり前となりました。しかし、これを普通とは思いたくないですね。

人は、生きていくために働いています。働くために生きているのではないでしょう。なのに、いつしか働くために生きているのと変わらないような状況に陥る。おかしいなと思います。

恒常的な長時間労働は、その人から活力を奪います。日々の暮らしに彩りがなくなります。ただただ、我慢だけの人生になります。しかし、それでも我慢してしまうのは、生活のためなのでしょうね。私自身、今はそうです。

もっとも、過去には残業が少ない職場で働いていたこともありました。その時に人生を真剣に見つめ直しておけば、進路を再設定していればと思わずにはおれません。時間があったのにそれをしなかったのは自分のミスであり、怠惰であったと言えます。誰のせいでもありません。怠惰な自分であったことのツケを今、払わされているのかもしれません。

だからといって、長時間労働を肯定化する気にはなりません。1ヶ月の残業が45時間までならOK?いやいや、それでも多い多い。何言っているんですか、と言いたくなります。1ヶ月あたり4.5時間程度ならまあ仕方ない、それぐらいなら受け入れるかとなりますけど。

しかし、現実には36協定を結んで(結ばされて?)45時間、更に特別条項を使ってそれ以上の長時間労働を強いられる。都合良く利用される仕組みになっているものです。無知は恐ろしいことです。

流れ着いて数社を渡り歩いてきましたが、残業と仕事内容に関しては、今が一番悪いかもしれません。ただ、派遣される身であるので、仕事内容が悪いというのは正確に言うと、以下の説明になります。

  • 派遣先の業務が自分には合わず、また自分の得意とすることが何も活かせない
  • おまけに過度な期待をされてしまっていて、どういう訳か無茶な日程で仕事を割り当てられ、それをこなせずに遅らせてしまい、自己嫌悪に陥る

意外なことに、派遣元の会社(自分が属している会社)は、世間から後ろ指を指されることが無いよう、まともな会社運営を目指している。そういう意図は充分に読み取れるのですね。45時間だって多いよ、と私は思いますけど、会社としては、派遣先で45時間以上働かないように目を光らされています。なので、長時間労働を抑止しようというつもりがあることは感じられます。

仕事内容が面白いか面白くないか、感じる心を素直に受け入れる

この国における労働者の仕事内容に対する意識や捉え方は、どのようになっているのでしょうか。自分で調査や統計を取ったことはなく、マスコミやインターネット上の情報を元として、自分なりの感覚で判断しているに過ぎませんが、少なくない人々が仕事を面白いとは感じていないだろうと捉えています。

私は、苦手な分野の仕事を任されたことで、自分の得意とする分野、興味のある分野、またやりたくなかったことは何だったのかを再確認することが出来ています。また、我慢し続けることが美徳だとは思えないから、この状況を変える努力をします。しかし、そういう認識が持てても、自身の心は休みの日も含めて「面白くない」と感じ続けています。それが本音です。

もしも、自分の苦手とする分野だったとしても、面白いと感じたらどうだったでしょうか。実は食わず嫌いでその分野を嫌っていただけで、やってみたら面白かった、そう感じることはあるでしょう。もしそうなったら、素晴らしいことですね。

しかし、「面白くない」と感じることが支配的となってしまったら、それは自分の心が自分に対して発する注意、警告だと捉えた方が良さそうです。このブログは、自分の仕事に対する心情を綴ることが主な目的となっていますが、仕事に限らず、面白くないことを延々と続けて良いことはないでしょう。無論、面白くなくてもある程度は我慢できたり、何かのために割り切ることが出来る場合もありますが、我慢も割り切りも出来ないとなったら、それは危ない予兆だと捉えたいです。

面白い、面白くないことについて、自分なりの分析と対処を書いてみようと思ったのですが、ここまで書いて、もっと単純に考えても良いのかもしれないと思えました。面白くないなら、それを素直に受け入れる。他人から見たらどうとかということは、この際考えない。

面白くないと感じるなら、面白くなるような仕事内容に変えていくか、面白そうな会社に転職するか、すべての責任を背負って独立もしくは起業して、自分ですべてを仕切るか。いずれかの選択をするならば、身勝手なわがままとはなりませんね。

ここで会社や環境に対して一方的な文句を言うだけに留めてしまう、単純に会社や環境が悪くて自分は正しいとしてしまうことに終止してしまうと、負の連鎖に陥ってしまいそうです。

仕事をまったく面白くないと感じた場合は、チャンスかもしれません。行動を起こすべきだという信号だと捉えられれば、これはチャンスです。もっとも、仕事をまったく面白くないと感じている状況では、仕事以外のことに対してもやる気をなくしているかもしれません。私自身、これを書きながらそのような状態になっているのを感じます。自分で書いたとおり、これは自分でなんとかしろという信号なのだ、と捉えています。

ただ、今は気持ちが浮いているけれど、それは一時のことになるでしょう。面白くないことが支配的だから、きっとまた沈みます。でも、そうやって浮き沈みを繰り返すものだと認識していたら、大丈夫です。それでも、沈んでしまっている時はつらいのですけれどね。

何とかしましょう、各々の人生ですから。

何とかする、自分の人生のために

苦手な仕事を続けていて、相変わらず低いパフォーマンスしか出せていません。我ながら、自己嫌悪に陥ります。

苦手なことを我慢して続けることは、決して美徳だとは思えません。人生そのものがつまらなくなります。

つまらない人生にしたいですか?わざわざそうしたいとは思わないですよね。

だから、何とかします。

拙い内容ですけど、それでも書いておきたくなりましたので、書きました。

ジョブホッパーになりかけてしまっていて、手詰まり感が強い

私はこれまで、数社を渡り歩いています。最初の転職こそ、当時は納得行く形で出来ましたが、その後は不本意な形での転職です。いわゆるジョブホッパーになりかけています。こう書いているくらいですから、今もまた、良からぬことを考えてしまっています。

我慢や忍耐は美徳であり、また、歯を食いしばって頑張れば何とかなる。そう思っていた時期がありましたが、今はそうではなくなっています。

こんな風に思うことは、良くないことでしょうか。

自分の苦手とすることが仕事として回ってきたら、何が何でも対応しなければならないのでしょうか。

仕事を選ぼうとすることは、いけないことでしょうか。

ああでもない、こうでもないと、考え込みます。

数社も渡り歩くことになる前に、何とかしたかったものです。実際のところ、嫌なことは嫌だとはっきり感じていても、周囲の顔色を気にしてしまって、必要以上に萎縮してしまっています。そして、情けないとも感じています。無論、苦手なことをすることになっているから、こうなっても仕方ないし、逃げ出したいというのが本音です。しかし、一方では目の前のことを上手にこなせないことに情けなさを感じてもいます。

少なくとも、ITの開発からは抜け出したい。自分にはもう無理だと、自分では感じています。ITの仕事に関わって20年以上が経ちましたが、どうやら限界が来てしまったようです。限界は自分が決めることであるから、限界だと思わなければ限界はない、ということは出来るでしょう。しかし、私にはもう無理っぽい。開発する上で、自分が得意とする分野・ツールはあるけれど、そこから外れると途端に動きが鈍るし、販売や会計などの業務系のシステムを使うことは別としても、それらの開発に関わると、内容が思うように理解出来ない。

自分が苦手とする状況に遭遇してしまうと、こうも駄目になってしまうことは情けなく感じますが、誰だって得意なこと、不得意なことはあるのですし、不得意なことを避けることは決して悪いことではないです。

早期リタイアすることが目標となっていますけれど、実現にはまだまだ時間がかかりそうです。その間、私は耐えられるでしょうか。誰に問うわけでもなく、自分に問いかけています。

何事も、自立のための材料にする

自分が得意だと思える技術が職場やプロジェクトで活かせない。これはつらいです。この類の状況が発生するのは、派遣されている人が遭遇しやすいのではないかと私は思います。

Web系の技術が得意で、クラウド環境も経験があると言っているのに、割り当てられた仕事はExcelVBAを書いたり、独自のフレームワークかと思わされる程に自前のメソッドが組み込まれた.NET環境で、Windowsアプリケーション開発を担当させられたりすると、一体何なのかと思わざるを得ません。

IT系でプログラムが組めるというのなら、何でも出来ると思われるのですかね。もちろん、そうではないです。そんなことを強いてしまうから、嫌気が差してしまうのです。そして、こういうことに加担している人が、同じIT系の人であることも珍しくないという事実もありまして、やり切れなさが増してしまいます。

やっぱり、自分は自分で自立するしか道はないのでしょう。しかし、そのことを強く思わせてくれたことには感謝します。それでも、出来ることなら今すぐにでも抜け出したいですけどね。いや、出来ることならなんていう表現はいけない。それだと他人事になってしまいます。

なので、ここは「何が何でも抜け出す、自立する」と言い直します。そう言い直すと、次の問題は「いつまでに達成するか」となります。2017年の春頃の段階では、3年以内と考えていましたが、それでは遅い。こんな嫌な思いを年単位で続けるのかと考えたら、馬鹿馬鹿しくなりました。だから、2年以内と今は言いたい。言いたいでは弱いけど、まだ確証も見通しもない状況で、願望だけしかない状況なので、これが精一杯の表現になってしまいます。

けど、そんな表現しかできない自分に腹が立つ。なので、それも行動するための要素にします。

仕事を説明する際に「簡単」を連発する人は怪しい

職場に新しい人が来た時、誰かがその人に仕事内容の説明をする場面があります。その誰かが新しい人に説明をする際、やたらと「こんなの簡単、簡単」と連発しているようだったら、その人は話し方が軽すぎはしないでしょうか。

簡単を連発する人は、どうして簡単という言葉を連発するのでしょうか。本当に簡単だと思っているのでしょうか。簡単を連呼する人は、相手を見て話していないように思えます。説明をする相手がいる以上、相手と自身との間での相互理解が必要だと私は思うのですが、簡単が口癖の人は、単に自分の基準で簡単と言うだけで、説明を受ける相手がどう思うのか、どう受け止めるのかについて、考えが及んでいないと私は思えてなりません。

簡単とされることを相手がその通りに理解して、当人が簡単だと思えれば、問題はないです。しかし、簡単だとは思えなかった場合は、返答に困るのではないでしょうか。無論、当人が理解できれば簡単だという説明は正しかったのか、と思えることはあるでしょうけれど、最初から簡単だと言われてしまっては、何と返して良いのか、困るものです。

また、簡単を連呼する人に限って、物事を強引な力技で進めるようなところがあるように思えますし、いわゆる合理的なやり方、正統的なやり方を否定してしまっていて、その人の言う簡単は「自分基準での簡単」でしかないのではないでしょうか。そうだとすれば、独りよがりでしかないのではありますが、当人や相手、周囲の人間を含め、物事の捉え方に確固たるものはありませんから、難しいものです。

どうしたら良いのか。私としては、そういう状況で議論に持ち込んでも仕方ないと思います。私は私で、周囲に過度な迷惑さえかけなければ、自分の人生を生きたいと考えるようになっていますから、思うところがあるなら、早く自立できるように努力しようとなります。

他人の人生を生きている暇はありません。だから、自立を目指します。会社組織に属さずとも生きていけるようにすることが、今の最大の目標です。目標を果たせれば、怪しいと思う人とも距離を取れますから、それこそ簡単に解決しますね。

何とかしましょう。

経済的な自立を果たして、生き方を変える

自分でも気が付かない内に、自主性・主体性というものを失っていたようです。気が付けば、周囲に合わせるだけの自分がいる。そんな感じでした。

それでも、気が付いただけ良かったと言えます。今からでも方針転換は可能です。何を持ってして自分らしさを定義したら良いのかは、わかりません。でも、生活のために仕方なく会社に属しているような生き方は、早めに止めたいと考えるようになっています。

私は、社会的な成功よりは、落ち着いてひっそりと暮らせることを望んでいます。争いごとは苦手ですし。一般論として考えると、これでは情けないと感じることはあります。しかし、争いを好むよりは良いのではないでしょうか。少なくとも私はそう思います。

経済的な自立を果たせれば、生き方は変えられます。生活のために仕方なく会社に属することを選択しなくても済むようになります。今の目標は、経済的な自立です。

「変えたい」ではないですね。「変える」ですね。