40代の転職漂流記・技術者派遣の現場から

40代の今、数社の転職を重ねて技術者派遣の現場に行き着きました。現在、生き方を模索中

案件替えを依頼するが、それが通らなかったら

不得意な生産管理の案件に入って、数ヶ月が経ちます。未だに慣れることが出来ません。これこそ、向き不向きなのでしょう。

派遣先の管理者も、「あいつは使えない」と判断しているはずです。いや、そう判断していないとおかしいくらい、自分でもひどい仕事ぶりだと思っています。

苦手かつ嫌なことをこのまま続けていても、どうにもならないようです。自分はもちろん嫌だし、周囲にも迷惑がかかっています。まあ、実際のところは自分が嫌というだけで、理由としては十分です。

どうにもならないから、案件替えを依頼してみます。このまま潰れる訳にはいかないですし、社としても潰れるよりは先に手を打てたほうがマシなはずです。

しかし、案件替えが通らなかったらどうしたものか。予定では、今は自立に向けた準備期間であり、着々と準備を進めているはずでした。しかし、月に50時間を超え始めた残業と、仕事がうまく出来ないことから来る精神的な不安から、準備は進んでいません。それでも、このブログだけは何とか書いていますが、これを将来にどう繋げていくのか。まったく見えていません。ブログを書くことに慣れ始めていることは確かなのですが。

話が逸れましたが、案件替えが通らなければ、いや、今は書くのを止めておきます。まだ書くには早いかと思いましたので、止めておきます。

転職ではもう、うまくいかない気がしている

最初の転職こそ本意であったものの、それ以後は不本意な形での転職となってしまったのが、今の実情です。小さい頃は、普通に働いて普通に結婚して、普通に家庭を持てているものだと思っていたというか、疑ったことなんてなかったような気がします。

それが現実には、働いてはいるものの、後は手に出来ず。そして、その働くこともかなり怪しくなってきてしまいました。もしこれで働くことを止めたら、何にも手にしていないことになりますね。もっとも、去年と今年にかけて無職を経験していますから、何も持っていないことは経験済みです。

こうなってくると、もう普通に転職することではうまくいかないと感じています。自分自身は年齢を理由にするつもりはなくても、大衆的な日本社会という相手はそうではないですから、受け入れられる気はしないですね。それに加え、今までの職種であるIT系の仕事もやりたくなくなってきていますから、経験すら活かせない方に考えが進んでしまっているのです。

しかし、これまでのことを考えてみれば、興味や関心が他に移ることなんて珍しくはなく、むしろよくあることと言っても差し支えないでしょう。趣味、食べ物の嗜好、本の好みなど、どの分野においても一度持った興味や関心が絶対に変わらないなどということはありません。中には一つのことにずっと関心を持ち続け、それを一生続ける人もいますが、そうでない人もいます。

なので、自分の職種に感心を失うことがあっても、まったく不自然なことではないのです。ですが、職種を変える転職というのは難しいのが実情です。年齢を重ねれば重ねるほど、難易度は上がります。

今の職種が嫌になったから別の職種を、という話が通りにくいのが現実の話。私はそれを認識しながらも、再び会社を辞めたいと考え始めています。転職ではうまくいかない気がしていても、今は手が打てない・・・。

出来れば、時間稼ぎに案件替えが実現出来ればと今は考えているところです。

完璧さを求めるのに疲れた、相手に対しても、自分に対しても

いつからなのかははっきりしませんが、相手に完璧さを求めることをしなくなった気がします。

日常生活ですと、レジでのちょっとした間違い(金額は合っている必要があります。そこは間違えられても困ります)、運転中の無理な割り込み(割り込んできそうだと察知したら、こちらがアクセルを若干緩めます)、資料の誤字脱字(直してさえもらえれば、そんなに気にしません。名前を間違われるとムッとはきますけど)など、細かな間違いはそこらかしこであります。

これは仕事の場面でも似たようなもので、相手が間違うことは多々あります。名前の漢字を間違われる、受け取ったメールや資料に誤字脱字がある、開発用の資料に間違いがある、別の人の依頼に対して間違いを起こしていて、謝っている。本当に珍しくないと思います。

そして私自身、もう間違えてばかりです。相手が間違うようなことは、私も間違えます。完璧さを追い求めようとすればするほど、間違える気がしてなりません。開発者としての間違いは、要件を見落として実装してしまう、意図を読み違えるなどがあります。もっとも、これはこれで重大な間違いでして、完璧さを求めるかどうかという話題と同列にしてはいけないのかもしれません。

でも、私は相手に対しても自分に対しても、何事も完璧であることを求めるのに疲れてしまいました。それは多分、自分が完璧さを追い求めても完璧にはなれないと悟ったからです。自分がこんな具合なのに、相手に完璧さを求めるなんておかしいでしょう、そう考えるようになりました。

だから、相手に対して怒っても、割とすぐその感情は静まるようになりました。それに、看過出来ないようなことでしたら、そういう相手とは関わらないようにすれば良いことも学びまして、実際にそうしています。

間違いは直せば良いし、もっと言えば、間違いを起こさないで済むような仕組みに変えていくことが必要なのではないですかね、と私は思います。

ただ、そう考えれば考えるほど、システム開発の仕事からは降りたくなりました。システム開発において必要とされる完璧さを、私は実行できなくなりつつあります。そういう人は、早く別の道を探った方が良いのでしょう。私自身のことでなくとも、他人のことであっても、それは同じことです。自分に言えることは、他人であっても同じです。

もっとも、仕組みそのものを見直して、あるべき姿を追い求めながらやりましょう、複雑さを廃してすっきりするようにして行きましょうとなれば、私にもまだやれることはあると思うのですが、ほとんど期待出来ない状況です。

しかし、私は、自分が間違うことを肯定するためにこれを書いているのでしょうか。そうだとしたら、それもまたおかしな話です。けれど、それでも完璧さを相手にも自分にも求め続けることには、もう疲れました。

こう考えるようになったことは、経験として数えられるのでしょうか。そして、次に繋げていくにはどうしたら良いのか。視点は既に別のところへ移っているようです。それでも、今、開発の仕事をしている現実は現実としてあり続けるので、明日からの仕事が憂鬱であることに変わりはありません。自分のことは、自分がよくわかっています。開発の仕事を続けられなくなったと自分が感じているならば、それはきっと、事実です。自分にとっての事実です。

仕事、変えたいですね。変えたいから、模索します。

嫌な人との関わりを断つ選択肢を持ちたい

仕事上のことだけに限りませんが、接する相手のことを「嫌な人」と感じることはあります。

しかし本当のところは「そういう人と接しなければならない自分の立場の悪さが嫌」なのです。相手そのものよりは、自分の行動のまずさに嫌気が差すのです。

自分の生き方を変えれば、嫌だと感じた相手と接することを積極的に断ることは可能でしょう。自分にその選択肢がほしいのです。相手にだけ選択肢がある状況を良しとしてはいけないのです。

システム開発の仕事から降りて、精神的な不安を減らしたい

私はどうして、システム開発を仕事に選んでしまったのか。IT系の仕事を始める頃には考えもしなかったことです。

しかし、一度持った興味をずっと持ち続けられるかどうかなんて、そんなことはわかりません。だから、興味を失ったのなら、まずは自分の心情を素直に認めるのが良いかと思います。

システム開発の仕事は、ある種のセンスを要求されます。依頼者の意を、その発言だけからではなく、あらゆるところから汲み取ってそれを結果に反映させることを要求されると思うのは、私だけでしょうか。発する言葉が足りないのに、その足りない部分をどうにかして読み取れ、と要求されているように思わされることは決して珍しくありません。

中にはそういうことが楽しい、もしくはあまり苦もなく出来る人はいるのでしょうし、それが出来てこそ、システム開発の仕事は出来るのかもしれません。ですが、私にはもう無理です。

現実問題として、仕事としていたシステム開発をしたくないのなら、どうにかして職を変える必要があります。何せ今は、IT系の技術者派遣を行う会社に在籍していますから。システムやITの仕事をしたくない社員を、IT系の技術者派遣を行う会社が置いておきたいはずはありません。

だから、このままでいられるはずはないです。それでも、しばらくは耐えられそうですし、自分に合う案件に移れれば状況は変わるかもしれません。ただし、状況が変わると言っても、それは一時しのぎでしかないです。会社員が性に合っている人はいるでしょうけれど、そうではない人もいる。私は後者だと思いますが、そう思う割には会社員以外の選択肢、たとえば独立やパート・アルバイト掛け持ちなど、他の選択肢に移ることを怖がっているのも事実です。思考が止まってしまっているようです。

だから、それをどうにかして打開したい。現状での最善策は、今のシステム開発の案件から抜けられ、自分が得意とする案件に移れることです。そうすれば、時間稼ぎは出来ます。精神的な不安要素が減れば、思考は落ち着くからです。ただ、思考が落ち着くと、その状況が安泰だと勘違いして現状維持を選択してしまい、それでまた何年も過ごしてしまう可能性は否定できません。しかし、今の私ですと、そうはなりにくいはずだと思いたいです。

現状での最善策が実現しないと精神的な不安要素を減らすことは難しいですが、それでも状況を変える努力はします。どの道、行きたい方向は同じなので。ただ、精神的にきつい状況で別のことを頑張ることがしにくい質なので、それで今の仕事から生じる精神的な不安を大幅に減らしたいのです。結局、豆腐メンタル何でしょうね、私。気持ちの切り替えが下手で、うまく行かなかったことを引きずりやすいので、そういう自分の性質を自覚した上でどうしたら良いのかを考えると、こうなります。

このブログの内容は、基本的には明るい内容ではありません。ですが、そんなことを綴りつつ、将来への足がかりにしたいと考えて書いています。

自分の甘さは反省して、次に繋げたい

苦手な仕事に当たってしまって、気が休まらない日々を送っています。仕事は遅く、ミスも発生させてしまっています。なので、段々と周囲が自分を見る目が悪くなっていくのを感じています。

しかしそれは、自分の甘さが招いたことです。仕事の内容がわかった時に「これは苦手な部類だな」と感じたのですが、それでも相手が必要としているなら何とかなるだろうと、その点だけ過度な楽観をしてしまいました。都合良く考えすぎたのです。

苦手なことはしないようにしたいと考えるなら、それを通すべきでした。通さなかったのは、自分の間違いです。また、仕事の進め方についても不手際がありました。仕事が遅くなり、進捗管理がうまく出来なくなり、連絡も見落とす。典型的な悪循環に陥りました。

今はまだ、苦手な現場に留まることになりますが、この経験を活かし、得意とすることを伸ばして働き方を変えていくことを決意します。そうすることで報いたい。

理想を思い描く

人は、一人ひとりであればきっと、自分にとっては合理的・有益と思われる判断をすると思います。

しかし、個人であれば聡明な判断もするのに、個人が会社に集まって法人となると、法人の単位では聡明とはいい難い判断が日常的にくだされる。面白いと言えば面白いですが、もちろん、単なる皮肉です。

ぼやきが多い、今日このごろ。こういう内容のブログでも、何にもしないよりはマシだと考えています。けれど、本当は建設的なことを書いたり、楽しい・役に立つと感じてもらえるサイトやWebアプリを作ってみたい。

理想を思い描くことは、大事なことです。