40代の転職漂流記・技術者派遣の現場から

40代の今、数社の転職を重ねて技術者派遣の現場に行き着きました。現在、生き方を模索中

皆で疲労していく、長時間の残業によって

こんばんは。

これからの事はまだ何も決まっていないですが、私は一足先にきつい現場を抜ける事となりました。

数名中、ただ一人外れる結果となりましたので、今でも心は痛いです。手持ちのスキルを何ら活かせず、また仕事内容に自分を合わせることができなかった事も重なった結果ではあるのですが、心苦しい思いもあります。

ただ、派遣された職場としてはどちらかと言えば、今風に言えばブラックな職場です。管理職を始め、私がいるシステム開発部門は毎日多くの人が残業を、日によっては21時過ぎまでほぼ全員が揃っているような事もあるようなところです。社員、派遣関係なくです。また、他部署でも何かいつも残っている人がいますし。

日が変わらないだけマシとか、そういう事は言わないでくださいね。嫌なものは嫌なんです。

派遣元となっている我々の社員も、長時間の残業に巻き込まれています。顔を見れば、疲労しているのを感じ取る事ができます。しかし、互いに互いの仕事を抱えているので、直接的にできることなんて何もありません。本当に何も。ただただ、集団で疲労していくだけの事。おかしいなと私は思います。

やはり、炎上案件に投入されてしまったようです。基幹システムの入れ替えにもう2年ぐらいの時間を費やしているようですが、未だに実現せず、そんな中に投入された私たちは、言葉は悪いけれど迷惑です。派遣先のゴタゴタに巻き込まれたとも解釈できます。

不本意な形で去る事になりましたが、先に抜けられて良かったとなるのか、次の案件が決まらずに右往左往させられるのか、はたまた別の問題が持ち上がるのか。いずれにしても不安定な立場です。

悪い事は言わないので、もし20代・30代ぐらいで技術者派遣の会社に勤める事を考えている人がいたら、よく考えてください。

自分には合わない仕事内容だったが、そこでいきいきと働いている人もいる事実

こんばんは。

短い期間で派遣先との契約が終わる事が決まり、これからどうするかを考える必要が出てきました。半年持たなかったという事実はきついですね。現実を思い知らされたところです。近々、次の案件探しを始めることになります。

せっかく引っ越してきたのだし、また引越し先の地は自分にとっては良いところでして、落ち着く先の候補地に含めたいと思い始めていたところでした。

もうこうなったら、これも経験だと開き直るより他はないでしょう。当面は浮き沈みがいつも以上に激しくなりそうですが、これもまた人生かと。

ところで、私はこうなってしまいましたが、同じ職場でいきいきと働いている人はいます。自分とは対象的な、あまりにも対象的な感じです。聞いてみればその人は、過去には私と同じように派遣されてきていた人だったようですが、その職場と仕事内容が自分に合っていたらしく、自分から志願して正社員となることを希望して、正社員になれたそうです。

良いですよね、こうなれれば。当人さえそれで良ければ、本当に。これについては皮肉でも何でもなく、素直にそう思えます。だから、他人や環境を安易に非難する気にはなれないのです。過去の記事において批判めいたことは展開してはいますが、単なる批判にはやっぱり意味がないので、他人や環境に憤りを感じても、それを単純に責める気に離れない、でも言いたいことはあるし、何よりも自分自身の姿勢や行動はどうなのよ、ともなってくるともうめちゃくちゃになります。

話は戻りますが、自分には合わない仕事内容・職場であっても、他の人もそうなるとは限らず、むしろいきいきと働いている人もいますから、安易な批判は止めましょう。自分が仕事内容・職場に合わせるか、自分に合った仕事内容・職場を探すか。そんな簡単なことではないにしても、一人ひとりにその選択権はあります。同時に努力も必要となるでしょう。

私の場合、自分に合わなかっただけでなく、開発者としての力量を問われる場面もありましたから、それはつらかったです。自分の持っている技量は大したことはなかったことを自覚させられました。ただ、私は本当に開発者になりたかったのか、この状況でそんな根源的なことを自分に問いただしています。その答えは、こうなってくる結果を受けての答えとなるのかもしれませんが、「いいえ」となってしまいました。

人生とは一体、何なんでしょうか。そこから問いかけ始めています。早く、こんな事を考えないでも済むような生き方に変えたいものです。そのためには行動あるのみなのですが、どうやったら行動できるのでしょうか。

心身に支障をきたしたら元も子もないが、事前に阻止できるとは限らない

こんばんは。

しばらく前に、何かのブログで間接照明に関する記事を読みました。簡単に部屋の雰囲気を変えることができるようで、早速買ってみました。購入したのは、テーブルスタンドです。

実際に使ってみると、確かに雰囲気が変わりますね。写真を載せたいところなのですが、室内が雑然としていたので止めておきます。でも、良いですよ。天井の照明を消し、テーブルスタンドの照明だけにする。限られた明るさ、白熱球の暖かみのある色。これで本を読むのは無理なのですが、キーボードを打つには困らないですね。タッチタイプができるから、そこそこの明るさがあれば大丈夫です。

さて、本題ですが、契約を解除されることについて、自分が思っていた以上に心が乱れました。今の時点ではまま落ち着いていますが、再び「死んだ方がマシか」という感情が湧き上がってきました。それが本気だったらきっと、こんな風にブログを書くこともないでしょうから、今はまだ大丈夫と言えます。

それに「死んだほうがマシ」と思うことで、実際には「本当は充実感を持って生きたい」と思うことに繋がっています。現実にはこれらの感情を繰り返しているような感じです。

私がこうなったのは、向いていない業務系のシステム開発に就いてしまったことが発端でした。自分にとってはまるで向いていなくて、それでいて派遣されている立場からすれば、言われたこと・任されたことはできて当然のような雰囲気がありまして、得手・不得手を言える雰囲気などまったくありませんでした。これが技術者派遣の現実の一つだと強く実感した次第です。私が何でも出来さえすれば、それはそれでよかったのですが、そうではありませんでした。

これでもし、私が心身に致命的な不具合を生じさせてしまっていたら、どうなっていたのでしょうか。今はまだ、当人がそこまでのことにはなっていないと判断してはいますが、かなり際どい感じではあります。それでも、決定的なことになる前に契約解除となったことで、致命傷を負わないで済んだことになりますから、私の場合はおかしくなり切る前に阻止できたと言えそうです。

ですが、こうしていつも事前に阻止できるとは限らないです。事前に阻止できているなら、心身に支障をきたすような人は滅多なことではいなくなるでしょう。でも、現実はどうですか?書店に行けばうつやメンタルヘルスに関する本はいっぱいありますし、ネット上の記事を探せば同じように関係する記事・サイトはたくさん出てきます。

「自分も危ないけど、どうかしちまっているぜ、この世は」と思わずにはいられません。何でこんなことになるのか、私は悲しくて仕方ありません。

私も、これからも大丈夫という保証はないですけれどね。これを単なる甘えだと判断されれば、私は潰される方向に持っていかれるでしょうし、そうなったらおそらく私は後先考えずに逃げ出すことを選択するでしょう。誰も、誰も良い思いはしないですね、そうなってしまうと。

今回、私は致命的な問題は回避できているけれど、それも「今のところ」という注釈がつきまといます。そして、私以外の人においては心身に支障をきたすことを事前に阻止できず、歯車が狂ってしまう現実が存在しています。それは悲しい、とても悲しい現実です。

何か、お役に立てることはないでしょうか?

合わない仕事をしたことによる、心への影響は想像以上

こんにちは。

自分に合わない仕事をした結果、契約を解除されることとなったのですが、心への影響は想像以上のものでした。

これからの事を考えたくない

次の案件をどうするかを決める必要があるのですが、考えたくなくなっています。

身の回りの事がお留守になりかけている

基本的に自炊をしている私ですが、ここ2、3日は外食中心の生活です。食事を作るのが面倒になっています。今までも面倒に思う事はありましたが、今までのそれとは違う感覚です。

掃除や洗濯も適当な感じです。そして、気がついたら散髪も3ヶ月位していない・・・。我ながらひどいものです。

食事が楽しくない

食事を作るのが面倒になったのなら、それはそれで気持ちを切り替え、一時の間は外食を楽しめば良いのでしょうけれど、そんな感覚はありません。何を食べたいかは考えるのですが、考えて決めたものを食べても、美味しいとかそうでないとかをあまり感じていないようです。

朝、起きるのが嫌

今日は日曜日ですが、つい先程まで布団から出るのが嫌でした。目は覚ましても布団から出る気にならず、再び寝てしまったり、また目を覚ましたりの繰り返しでした。とにかく憂鬱でして、仕方ないのでそのまま身を任せました。

自分でも本気だとは考えていないが、死にたいと思う時間が増えている

これが一番の問題でしょうか。本気ではないはずですが、死にたいとふとした拍子に思う時間・回数が増えています。この世にいる意味を感じられない、誰のためにもなれていない、自分のためにもなっていない、そういう現実が非常に重く、心苦しいです。派遣されている数名の内、自分だけが契約を解除されるほどの低い力しか出せなかった、いくら仕事内容が合わなかったとしても、その事実にはどうしたって自分自身ががっかりします。

ざっと挙げると、このようになります。

自分が疲れたと思うなら、それは疲れているのです。自分がきついと思うなら、それはきついのです。仕事内容が合わないと感じるならば、それは合わないのです。

結局は、自分の選択ミスなんですね。今の会社に入る前から、ミスは始まっていたのです。そのツケが今こうしてまとまってやってきた、そんなところでしょうか。

もっとも、以下の事実が成り立っているのもまた、現実です。あくまで現時点での話ですが。

  • 合わない仕事から外れることができた → 希望通り
  • 長時間残業から開放された → 希望通り

これでもし、次が自分に合う案件であれば、当面は粛々と働くことができそうです。その間に自立のための準備をしておき、2年後を目処に実行する。そういう筋書きに今はしておきたいです。

20代、30代の皆さん、こんな風にならないようにしてくださいね。

2019年の今頃までに、IT業界から脱する

こんばんは。

自分の選択の結果ではあるので、受け入れるより他はないですけど、ままならない人生です。

振り返ってみると、自分の人生、良かった時期があったかどうか。いずれにしても、自分の選択の結果です。

ここからどうやって挽回するのか。

仕事内容が合わなかったのは事実だが、建設的な対処方法はなかったものか。

他者や環境のせいにはしたくないが、気持ちの持って行き場がなく、閉塞感ばかりが募る毎日。

私の生きにくいことの正体は、一体何なのか。


こんな調子で、今日はいつも以上に悶々としています。

何だかんだ言っても、言い訳ばかりの人生でして、その事実が自己嫌悪に繋がっています。

システム開発で結果を出せず、むしろ足手まといになる。苦手な言語に苦戦し、業務知識の習得が遅れ、作業自体が破綻する有様でしたから、取り繕いようもありませんでした。

ただ、業務系のシステム開発をやりたくない気持ちに変わりはありません。変わりはありませんが、副業である程度の収入を得られるようになるまでは我慢するつもりです。次の現場を最後の現場として、そこでは文句は言わない(心の中では言うだろうし、ブロクにも書くでしょうけど)。

長くて2年。それが期限です。2019年の今頃までには、IT業界から脱することを達成させます。

自分にとっておもしろくないこと・やりたくないことをいつまでも我慢しながら続ける人生に終止符を打ちます。

合わせて会社員も辞め、自立できていたら素晴らしいものです。

嫌な事で結果を出してしまうと、その後も結果を出すことを求められる。それは不幸だ

こんにちは。

仕事でミスをしまくった結果、仕事が減らされました。自分の仕事は、仕事ができる人の元へ行きました。できる人の負担が益々増えることになるのですが。

私としては何か、とても複雑な気分です。慣れない仕事に苦しみましたし、続けていくのは無理だと判断していたのですが、いざ仕事を減らされた時には「何とかできなかったものか・・・」と感じてしまいました。

しかし、自分が嫌な事・嫌いな事をずっと続けたいでしょうか。嫌いな事で結果を出してしまうと周囲に期待されてしまう、もしくは普通に仕事をこなせると思われて、さらなる積み増しが行われるのは必至かと。そんな働き方は不幸に決まっています。だから、私は自分が嫌な事・嫌いな事を続けたいとは思わないです。

とりあえず、今の派遣先で挽回の目はなくなりました。年内には契約が終わる予定ですが、おそらくはそれも早まることでしょう。自分の仕事が他の人に割り当てられたという事は、私を切る具体的な準備に入ったと考えるべきでしょう。

このブログは今日の時点で1ヶ月以上継続して投稿していますが、他にも何かできる事を見つけたいものです。

冗談抜きで会社へ行きたくなくなり、その気持ちが理解できた

こんばんは。残暑らしい残暑もなく、秋らしさを感じる日々です。

真面目にというとおかしいのですけど、冗談抜きで会社へ行きたくなくなる気持ちが理解できました。今までも行きたくなくなることはありましたが、そんなに深刻ではなく、気持ちを切り替えられればやり過ごせる程度のことでした。

しかし、今回は違いました。派遣先・派遣元の管理職からしてみれば、私は仕事に合わせられない人と定義され、私からしてみると仕事内容が合わない・自分を合わせられないと定義することになりまして、要は使い物にならないことが露呈しました。

自分で認めるのはつらいことなのですが、今の派遣先ではまったく駄目でした。自分が得意としているフレームワークは結局使えず、慣れない言語に悪戦苦闘。でも、派遣されてるのだから何とかできるでしょうとされてしまっているのか、「その言語は経験ないのですが、勉強は必要だと思うのですが」と言ってみたところでまったく相手にされませんでした。やはり、得意なスキルを封じられたのはとても痛かったです。

そして、業務を理解できないことも致命傷となりました。これまで業務系と言っていたのは、主に生産管理を指していたのですが、生産管理は各社ごとのやり方が出やすい分野ではないかと思われます。故に、ちょっと触れた程度では勉強にすらならないというか、実務の現場で生産および生産管理に関わらないまま、いきなりシステム開発に関わるのは本当に無理がありました。また、私には向いていない分野であることも確信できました。

更に言うと、私は少人数での開発しか経験してこなかったので、良くも悪くも自己流が染み付いています。なので、仕様書やテストありきでの開発に慣れておらず、それもまた使い物にならない理由となってしまいました。それに、某フレームワークに頼り切った開発をしていたため、すっかり楽な開発に慣れてしまっていて、力技で昔みたいにコードをゴリゴリと書くような現場にはついていけなかったです。

もっとも、今の現場は、我々派遣には仕様書を出してはくれません。口頭で説明したあと「後はセンス良くまとめてね、任せた」と言われるだけです。質問はするのですけれど、そうすると「センス良く作ってね」と言われるだけ。そして、実際に成果物を出すと「あれが違う、これが違う」と後からひたすらダメ出しされます。そんなくらいなら最初に仕様をまとめてくれれば・・・、と思うのですが、そう言い出せる雰囲気ではないです、もう。「仕事が遅い・ミスばっかりしている奴」と定義されてしまっているので、私もすっかり萎縮してしまっています。

小学校の頃に初めてパソコンに触れ、そこからプログラマーに憧れてITの世界に入ったのですが、実際のところは社内SEと社内のインフラ、PC管理やヘルプ対応のキャリアの方が長いのが実情でした。Web系の開発も8年程度やっていましたが、まるまる8年ではなかったし、これを持ってして「開発の経験があります」と言ってしまったのは間違いだったようです。

こんなことになってしまったので、逃げ出したくて仕方ありません。いじめられているのとは違うはずですが、居場所がないのは事実です。こうなって初めて、会社へ行きたくなくなる人の気持ちが理解できました。

私はもう、システム開発の仕事は辞めます。私の開発スキルでは、システム開発をきちんとこなせないことが今回よくわかりました。そして、勉強すればどうにかなるようなことではないというか、もうシステム開発には関わり合いたいと思わなくなりましたので、システム開発におけるスキルアップは目指しません。そうした方が自分のためですし、システム開発に関わらないことで相手のためにもなります。

IT系の仕事をするならば、開発をしないで良い社内SEか、サーバー・ネットワーク系の仕事をしたいところです。しかし、地方にはそういう仕事がないから、開発の仕事で妥協したのですよね。それがこの結果です。

もっと言うならば、IT業界を抜けたいです。40代で長年続けてきた職種を放棄したいとなると、それがIT業界でなくても大変なことになるでしょう。しかし、一方では貯金を減らさない程度の収入を得られ、残業が少ない仕事につければその方が良い、そう考えた時に自分にできそうな仕事はなんだろうか、そんなことを考えています。

こういう時には幸いと言って良いのでしょうか、私は独身ですから、自分ひとりさえ何とかなれば良いわけです。セミリタイアするつもりでIT業界から、そして正社員を辞める。そして、そこそこの稼ぎと充分な時間を得て、これからの人生を再構築する。

セミリタイアするまでの仕事をどうするのかが焦点になりそうです。