40代の転職漂流記・技術者派遣の現場から

40代の今、数社の転職を重ねて技術者派遣の現場に行き着きました。現在、生き方を模索中

今月末で今の派遣先での就業は終わるが、晴れ晴れとすることは何もない

こんばんは。

今月末で今の派遣先での就業が終わります。今、引き継ぎの資料を作っています。ほんの数ヶ月しかいなかった上に、仕事が遅かった・量をこなせなかったことから、あまり引き継ぐことはないです。

いろいろな意味で、不本意な終わり方となってしまいそうです。合わなかった、合わせられなかった、それに尽きます。

私は合わせられなかったのですが、他の人は合わせられている。少なくとも私みたいなことにはならなかったので、私の立場は厳しいのが現実です。一人こうなってしまっては、旗色が悪いとしか言いようがありません。

これで次が決まらなければ、その間は待機していることになるのですが、待機させるくらいなら、多少単価が安くても当人が働きやすい職場へ送り込んでしまった方がマシな気がします。でも、実際には拠点ごとの売上は競っていまして、それが収入増に繋がることになりますから、こんな私でもまだ「できないと言うな、できないことでもできると言って、後から何とかするように」と、新たな客先の前で言わねばならないというか、そう言えと言われます。

派遣は、仕事探しを事実上人任せにしているようなものです。仕事探しにおいてかなり重要な部分を、本来であれば当の本人が責任を持って担わなければならない部分を、派遣という形態にすることでごまかしてしまっている・先送りにしてしまっている。私にはそんな風に思えてきてしまいました。

こんな終わり方ですから、晴れ晴れとした気持ちにはまったくなれません。それで正常だとは思いますけれど、この場合。

事前に訴えたら「甘え」、事後となった時には「相談してくれれば」、どちらに転んでも、周囲はどうとでも言える

こんばんは。

私は合わない仕事をすることで大崩れしてしまいましたが、とりあえず、その派遣先での就業は終わることとなっています。終わるとわかれば気が楽になるのは事実です。

しかし、一時は以下のような症状、思考状態になっていて、良い状態とはいえなかったと思います。

  • 口の中が乾くなんて滅多にないのに、会議中にやたらと口の中が乾いて、息が苦しかった
  • 胸が締め付けられるような、何とも言えない状況に何度も遭遇した
  • 朝、目を覚まさなければ楽になれるかも、と毎朝のように考えていた

特に、口の中が乾くという経験は焦りました。何せ、そんなことが起きたこと、なかったですから。同時に、締め付けられるような息苦しさをずっと感じることとなり、思考状態は常に負の状態でした。

私は幸い、合わない派遣先を外れることができましたのですが、もし外れることができなかったらどうなっていたかと思うと、怖いものです。一応、事前の相談が受け入れられたのだろうと思っています。でも、一応という程度です。

これがもし、事前の相談をすべて甘えだとして否定されていたら、どうなっていたのでしょうか。想像はしたくないですけれど、想像は付きます。そして、悪い結果が出た後で「相談してくれれば」と周囲は述べ、自己保身に走るはずです。それで正当化できますからね、一般的には。

早く自立を、と今日も考えを新たにしています。

派遣先に合わせて引っ越すというのは、落ち着かないことを理解しつつある

こんばんは。

次の派遣先を探してもらっているところなのですが、多分、引っ越すことになります。自分の意志で引っ越そうとするのではなく、派遣先に合わせて引っ越しをする。これは落ち着かないものですね。

現在住んでいるところも、就業する派遣先に合わせて引っ越しをしてきましたが、それももう終わります。今月いっぱいで終わりです。なので、次を探しているところですが、ままなりません。

それで、派遣先に合わせて引っ越しをする件ですが、先にも述べたように、落ち着かないと感じています。おそらく、自分が引っ越したくて引っ越すのではないから、そう感じるのだと私は思っています。引っ越したら引っ越したで、多分、気分は変わることでしょう。でも、それが自分の意志によってなされたものではないとなると、「私、何か流されているな」と思えてしまいます。

これもまた、経験したことで理解した、理解しつつある事柄なのでしょう、きっと。

才がないと認めて他を探す、決して悪いことではない

こんばんは。

自分の意志か、成り行きかはともかくとしまして、何かを始めたとします。仕事でも趣味でも、何でも良いです。そうして始めたことが、自分に合うか合わないかは、始めてみた後にわかることだろうと思います。

始めたことが自分に合うと思えるなら、それは大変結構なことです。そのまま継続していき、さらなる高みを目指していけば良いと私は思います。

しかし、自分には合わないと感じてしまうこともあるでしょう。ましてやそれが自分の意志であったり、仕事において自分には選択権がなかった場合は、つらい気持ちになると思います。

私はそのような場合、その事柄については、自分は才がなかったのだと定義することにしています。向き・不向きといったことを大事にしたい私には、そのように考えます。向かない、才がないと思ったら、他を探せば良い。それだけのことのように思います。

自分では、それだけのことと思うのですけれど、軽く考えすぎなのでしょうか。

気力を回復させられないでいることはわかっているのだが

こんばんは。

状況をわかっているはずなのに、認識はしているはずなのに、手を打てないことがあります。気力を回復させられないでいることは認識しているのですけれど、充分な手を打つことができません。どうしてなのでしょうか。

どうしてと問いてみても、すぐには答えは見つけられません。何とも厄介な状況に陥ってしまったものです。

職場の飲み会、私には居場所がないし、意義も見いだせないことを再認識

こんにちは。

久しぶりに日中の投稿となります。

先日、職場で飲み会がありました。私はお酒が飲めないので(すぐに気分が悪くなりますし、そもそも美味しいと思えないです、私には)、気が進みませんでしたが、自分なりに気を使って出席することにしました。入社してまだそんなに時間が経っていないことも勘案しました。

けど、出席しても仕方ないことを再認識させられるだけの結果となりました。皆さん酔っ払っているから、話の内容に意味は大してないですし、どうしてそれで面白がれるのかな、と感じるような場面ばかりでした。酔えれば楽しいのかもしれないけど、私はシラフだし、ただ相槌を打つだけ。

それに、騒がしい中で大声で話をすることが、私にはストレスです。いつ自覚したのかは覚えていないのですが、ガヤガヤしたようなところで大声で話さねばならないような状況が苦手なのです。相手の声が聞き取りにくく、聞き取れないことにストレスを感じるような質ですから、実際に聞き取れないと、もうそれはそれは。悪いけど、イライラします。

そして、こんなことを書くくらいですから、自分から話せるようなことなんて何にもないというか、話したいと思っても話に食いつかれないというか、白けるというか。まあ、無理だと思いますね。でも、どちらが良いのか悪いのかではなく、あくまで志向の違い。

また、言い換えれば「私は相手にされない」のです。飲み会の席になると、何故か話の中心になったり、可愛がられる人っていますよね。これは僻みみたいなものなのでしょうけれど、そういう人と自分を勝手に比べてしまって、話の輪に入っていけない、せいぜい愛想笑い・相槌をする程度のことしかすることがない自分の状況が惨めにしか感じられなくなるのです。

更に、その会は二次会へと続いていったのですが、私は帰ることにしました。そうしたら、誰からも引き止めとかは一言もなかったです。引き止めがなかったことに気がついたのは、このブログを書き始める前だったのですが、いずれにしても、私に居場所はなかったのです。

場所を変えても、相手が変わっても、結局は昔と変わらず。大勢の集まりに、しかもお酒が絡むような席は、私が最も回避すべき状況のようです。だから、今後は最低限の義理を果たすだけに留めることとしました。最低限の義理とは、そうですね、歓送迎会のことになりますかね。それ以外はもう、出ないつもりです。

楽しくやれれば、それに越したことはないはずなのだけれど、こうして考え込む質なのですから、駄目なんでしょうね、きっと。自分だってその他大勢の中のひとりのはずなのに、どうしてこうもずれているのか。けど、もうこれは、こういう自分を受け入れるだけにします。無理なことは無理だと。そもそも、私は状況を変えたいのですよね。セミリタイア・自立を模索しているのだから、その目標に注力しましょう。

求道者か哲学者を目指せば良かったのに

こんばんは。

飲み会が楽しいって、どんな気分なんですかね?

私は、過去には楽しんだことがあったかもしれないけれど、今のことを言うと、間違いなく楽しくない。断言できます。

楽しめればそれに越したことはないけど、どうしたっておもしろくないことはおもしろくないし、酒は飲めないし、タバコも嫌。食べ残しの料理が残ってしまうのも嫌だし。

そして、トドメは話ができないことかな。輪に入っていけないというか、何というか。私は、今で言うところのコミュ障なんでしょうね、きっと。

こういう者は一体、どうやって生きていけば良いのかとまで考えることがありますが、そこまで考えると流石に大げさすぎると気が付き、我に帰れます。

結局のところ、不得意なんでしょう、そういうことが。だったら、もう避けるに限ると私なんかは思います。他に得意なことがあれば、そちらをするほうが良いでしょう。

自分の生き方を見ていて、求道者や哲学者を目指せば良かったのに、と思っています。世捨て人でもいいか。